変動選択環境下の定常進化 ━ 厳密可解モデルと一般定理を求めて
石井一成
06/03/18, 13:30 at 理学部3号館6階数理生物学セミナー室
私は最初不規則系の統計物理を研究していたが,1972年10月に九大・理・生物の新設数理生物学講座の助手に採用されてからは,理論集団遺伝学グループ に属し,分子進化の集団遺伝学的機構に関し て,特に変動選択効果に留意した数理モデルを研究してきた.1983年4月に名大・教養・物理に転じてからも,一般物理教育の傍らで数理生物の研究を続けてきた.今回はこの間行った研究 を私なりに総括してみたい. 自然観察データに見られる経験通則を数理モデルの特性として理解しようとする時,通則と比較すべきモデル特性は短時間挙動の動的特性と長時間挙動の静的特性に大別される.通則が現象の長時間特性に関わり統計的である場合には,モデルの静的特性を調べ通則と比較する研究戦略が多くの場合に有用である.静的特性としては,力学過程の平衡状態,周期的変動状態や確率過程の平 衡状態,定 常状態など,広義定常状態の特性を調べることが重要である. 木村資生(1968)は分子進化を定常過程として理解する研究方針を鮮明に掲げた先駆者である.当時得られた分子進化速度の推定値を選択モデルの遺伝的荷重理論と比較すると,荷重の定常値が過大になり生物集団は存続できないとの理論的判断に基づいて,分子進化中立説を提唱した.その後,遺伝的多型と進化速度についても定常特性を調べ,中立説の理論的妥当性と必然性を補強した(1983).しかし,木村が研究した選択モデルの大半は選択環境の変動を無視しているため,選択説の棄却力が損なわれている.ネオダーウィニズムでは選択環境の変動が進化の主要因とされているからである. 木村の研究方針は統計物理の研究者にはお馴染みのものである.我々はそれを発展的に継承することを志し,変動選択環境下での定常進化を包括的に研究してきた.その際,我々は環境の持続時間τを新たなモデルパラメタとして導入した.これによって,τ=1の世代毎独立変動環境からτ=∞の一定環境まで,多様な変動様式を統一的に扱い,モデル特性のτ依存性を調べることが可能となる. 分子進化に限らず,生物進化の原型的モデル・可及的単純モデルを発見することは重要である.我々は古典的1座位モデルである2アレルモデルの変動選択版として,2つの環境状態間の変動を仮定したパリティモデルを提唱し,その進化速度と多型を調べた.木村(1971)は分子進化特有のモデルとして無限アレルモデルや無限座位モデルを慫慂したが,パリティモデルも,その特性相図に中立変異的,環境ゆらぎ的,弱有害変異的3領域が存在し,原型的単純モデルの資格を備えている. また,ゲノムの適応進化モデルとして赤の女王モデルを提唱し,ゲノムの適応度はその変異ステップ数nと時間で決まり,それはτ時間前のステップ数 n-1のゲノムのものに等しいと仮定した.ここで, ゲノムの変異ステップ数とは,初期時刻に遡る系統線上でゲノムに生じた変異回数である.この力学過程モデルでは変異率μが変動率γ=1/τを含んだある範囲にある限り進化速度は v=γであって,遺伝的荷重はμ=vの 時最小になる.最小荷重の結果は,突然変異と任意変動型遺伝子選択を仮定した力学過程モデル(生物進化モデル)で,集団マルサシアンMと進化速度 の間に成立する拡張Haldane-Muller則∂M/∂μ =v/μ-1によっても理解される. 我々が研究してきたモデルは力学過程とマルコフ過程に跨っている.その定常進化に関する一般定理と厳密解を報告する.遺伝子頻度の確率的変動は有限集団サイズNと変動選択に由来する.パリティモデルの遺伝子頻度の定常分布は,サイズ効果の有無を問わず一般的に求められたが,その定常速度は無限大集団か弱変異極限Nμ≪1の場合にしか解析的厳密解が分かっていない. 弱変異極限の場合,木村は遺伝子選択下のゲノム進化に対するサイズ効果を研究し,新生変異分離過程の定常特性を求める一般定理を発見した.しかし,分離特性だけでは解析は不十分で,野生型適応状態の確率過程を解析し,その定常特性を加味して初めて,弱変異極限理論が完成する.この際,変動選択効果を取り入れるのはたやすい.この観点から,速度の拡張固定確率公式,置換数の分散指数公式,定常変異スペクトルの集団遺伝学,サイズ荷重とゆらぎ荷重の概念などが導出された. |
Back: Japanese / English |