ETV2001:2001年12月18日放送(NHK教育テレビ)45分番組
科学者からの警告(2)
生命の適応戦略
進化生物学者ジョン・メイナード=スミス教授に聞く
進化的に安定な戦略ESS理論(ゲーム理論による)の提唱者
インタビュー 九州大学巌佐庸教授(数理生物学)
――地球に生命が誕生して以来繰り返される生物の進化と適応、それは何故どのように起こったのか。科学者たちは常に、この問題を解明しようとしてきました。イギリスの進化生物学者、ジョン・メイナード=スミス教授、生物たちは、それぞれの環境の中で、極めて利己的に生きている。だからこそ生物の世界には、一定の秩序が保たれているのだとするメイナード=スミス教授の理論は、その後の生物学の発展に、大きな影響を与えてきました。
メイナード=スミス「動物というものは、縄張り争いなどはしても、必要以上に争いをエスカレートさせることはありません。なぜなら、行き過ぎた争いは、自分の命に関わるからです。こうした動物たちの行動パターンを、解き明かすために私が用いたのが、ゲーム理論なのです」。
11月10日、京都賞の授賞式が行われました。京都賞は、毎年科学や精神文化に貢献した、学者や芸術家に贈られる国際的な賞です。17回目の今年、基礎科学部門でこの賞を受賞したのが、イギリスの進化生物学者で、サセックス大学名誉教授のジョン・メイナード=スミス(1920〜)さんです。メイナード=スミス教授は、進化的に安定な戦略、ESSという理論の提唱者として知られます。複雑な生物社会を優しく解き明かすこの理論によって、メイナード=スミス教授は、京都賞を受賞したのです。
1.ESS理論とは何か
――ESS理論が発表される1973年以前、動物の進化については、オーストリアの動物行動学者、コンラート・ローレンツ(1903−89)の学説が主流でした。ローレンツは生物はそれぞれの種を保存するために、生きている。だから種を同じくする動物同士の戦いは、ポーズだけの儀式的なものに止まり、決して殺し合いにまでいたることはないと考えました。ローレンツ理論では、生物の適応の基本は、あくまで種に置かれていたのです。
総合地球環境学研究所長日高敏隆
「ローレンツの考え方によると、要するに種を維持するために、いろんなことがあって、そのために動物たちがいろんな行動をしてると。こういう行動をすると、どういうことになるかという。それが結局種を維持していくためにちゃんと役に立つんだと、こういう話だったんですね。これはある種の決定論でしょうね、完全にね。その辺の所をちゃんと解いてみたのが、つまり動物たちはゲームをやってるんだという、そういう風な認識に立って解いたのが、メイナード=スミスさんなんですね」。
九州大学教授巌佐庸(数理生物学)さん、
――巌佐さんは、複雑多岐にわたる生物の進化を考える上で、今こそメイナード=スミス教授のESS理論を読み直すべきではないかと考えています。
巌佐「コンラート・ローレンツは、動物は互いに殺し合いを避けて、そのことによって、種が滅びないようにしている。つまり、動物はその行動を種が存続するように、選らんでるんだ。こういうふうに考えました。しかし、この説明は間違っています。このことをはっきり示すのは、チンパンジーや、ライオンで観察される“子殺し”子供を殺すという行動であります」。
――ライオンの世界では、オスが他の牡の子供を殺すことがあります。子どもを失って発情しやすくなったメスとの間に、新たに自分の子供を作ることが出来るからです。こうした児殺しは、チンパンジーなどにも見られる現象で、生物が種のために生きているとする考えとは、矛盾します。
巌佐「そもそも、生物の適応というのは、ダーウィンが発見した自然淘汰によってもたらされるものです。自然淘汰というのは、巧く振舞えた個体が、より多くの子供を残していく。そのことによって、そういう振る舞いが広がる。こういうことを通じて、進化が起きるわけです。だから種の存続を齎すように、適応が起きるということはありません。あくまでも、自分の子供が広がるように振舞うのが、進化するわけです。
メイナード=スミスさんは、動物のそれぞれの個体にとっての、有利さと不利さをきちんと考えると、武器(=矛や爪など)を使わないで、儀式的闘争をするという事がちゃんと説明出来るということを示されました。と言いますのは、確かに武器を使って、やりますとですね。闘争で勝つ可能性は増えますが、逆に相手も武器を使ってまいりますと、自分も怪我をしてくる危険が上るわけです。その結果ですね、自分は武器を使わないで、儀式的闘争に止める答えが最終的にはより多くの、子供を残す可能性があります。
メイナード=スミスさんは、動物のそれぞれの個体にとっての有利さと不利さということを考えて、そのときの進化で落ち着いた状態の先のことを、ESS進化的に安定な状態、こういうふうに言っておられます。英語ではEvolutionarily
Stable Strategy と言いまして、簡単なために、頭文字をとりまして、ESSと呼びます。ここで非常に大事なことがあります。それはある個体にとって、どの挙動が、どの行動が、有利か不利かいう事はそれだけでは決まらないということです。つまり相手に誰が来るか、相手がどういう行動をとるかによって、変わってくる。ある挙動の有利さは他の個体の挙動によって変わる。こういう風な状況で、社会がどういうものが現れるかということを考える数学が、ゲームといわれます。
メイナード=スミスさんのESSは、いわば生物の適応的な性質を作り上げてきた、自然淘汰というのは、必ずしも殺し合いに終わるような、弱肉強食といいますか、そういう風な社会を作り出すとは限らないということを示しています。少し逆説的に聞こえますけれども、動物のそれぞれの個体が、自分の利益を追求した時に社会は、ある種の安定した、平和な状態が実現できるんだということが示されたわけであります。今回は、メイナード=スミスさんに、ESSについて初めて、聞かれた方の為に、改めて説明をして頂きながら、今私達が直面している問題についえ、考えていこうと思います」。
――巌佐さんとメイナード=スミス教授との対談は、ESS理論が誕生した背景を辿り直すことから始まりました。
巌佐「先生が最初にESSで導入された論文では、動物の儀式的行動について取り扱っておられました。儀式的行動というのは、コンラード・ローレンツがどうして進化したかについて説明していたと思うんですけれども、ローレンツの説明では不十分だったんでしょうか」。
メイナード=スミス「お断りしておきますが、ローレンツの説明が総て間違っていたとは思いません。確かに動物はしばしば怒りを仕草で示すことで、争いに歯止めをかけます。ローレンツが間違っていたのは、それが種の保存であるとした点です。例えば、狼が相手を殺すまで、争わないのは、それが狼という種全体にとって好ましくないからだと考えたのです。争って怪我をすれば、狼が絶滅するかもしれないからだと。これは大きな間違いです。自然淘汰が狼という種を生き残らせるいうように働くなどということはありません。そして勿論、これは狼だけでなく、羊などほかの動物についえも、当てはまります。
自然淘汰や進化は、ある種を死に絶えさせて、他の種を生存させるといった形では進みません。それは個体を生存させて、子孫を残し、そしてその個体が死んでいくことで、進むのです。自然淘汰というのは、種の淘汰ではなく、個体の淘汰なのです。私は当時学生でしたが、それでもローレンツの説は不完全だと分りました。そして私はESS理論について、考えるようになったのです。
ゲーム理論を使わないと、動物の行動パターンを巧く説明できないケースがあるのです。それは動物が生存のために取る行動が一つとは限らない場合、つまり群れの中のほかの個体が何をしているかによって、取るべき行動が変わってしまう場合です。こういう場合、動物はどのようにして、自分の取るべき行動を決めるのか、これを説明するために、私達はゲーム理論を導入したのです。
簡単な例で説明しましょう。これは私達がタカ対ハトのゲームと呼ぶゲームです。仮に貴方と私が、縄張りを争っているとします。この場合、私達には、二つの選択肢があります。タカのように、縄張りを手に入れるまで、徹底的に戦うか、ハトのように欲しいという意思表示をしつつも、攻撃されたら逃げるか。この二つのどちらを選ぶかについては、相手の出方次第だということが、直ぐに分ります。もし自分以外の誰もが、争ったり、殺しあったりしているタカばかりなら、最善の選択は、逃げることです。タカの群れの中では、ハトになることが一番良いのです。逆にもしまわりがハトばかりなら、タカになるべきなのです。ではこうした選択肢を持つ動物が、どのような行動を取るか、答えは勿論、時にはタカになり、時にはハトになるというものです」。
2.ゲームをすることの意味
――それぞれの状況に応じて、自分の生存のために利己的に振舞う動物たち。その根本にある原理を、メイナード=スミス教授は、ゲームになぞらえて解き明かしたのです。
メイナード=スミス「私はタカ対ハトのゲームを考えているとき、こんなことを考えました。二人の人間が争い、この二人がそれなりに教養ある人間と仮定すると、彼らは恐らく、コインを投げて、その裏表で決着をつけるだろう。しかし、動物はコインを投げられない。そこで考えます。そもそもコインを投げることの意味は、何かと。それはすなわちゲームに非対象性、言い換えれば、二つの個体の間に、差異を齎すことです。そして私は、コインを投げられない動物たちは、他に何かゲーム上の非対象性を使って自体を収めるのではないかと考えました。そこで先ず考えられるのは、縄張り争いのケースです。一方が先にそこにいた側で、他方が侵入者という状況です。これによってコイン投げのように、非対象性が生まれるわけです。恐らく所有者は縄張りを守るため、激しく戦うタカになり、侵入者は抵抗されれば引き下がるハトになるだろうと私は考えました。そして現実は正にその通りとなっています。それまでは遊び半分で扱っていたゲーム理論でしたが、非常に面白い考えかもしれないと気付きました」。
3.樹木と魚についてのESSの適用例
――ESSは生物の様々な現象を理解する助けとなっています。たとえば、どうして樹木は幹をつけるのか。オスの魚がメスに変わるのはなぜなのか。こうした問いの答えも、またESSで説明できるのです。
巌佐「ここで一つ植物の、ESSの例を考えて見ましょう。
樹木は太い幹を持って、高く葉っぱの付いている樹幹というのをですね、持ち上げています。どうして樹木は幹を付けるか。こんなのは当たり前と思われると思うんですが。樹木が一本で生えていますと、そのように、高い幹をつけるということはありません。幹は付けますけれども、葉はこういうふうにですね、下まで広がっていて、こんな格好してますね(半球状で、こんもりしている)。
ところが一本だけで生えていることは普通なくてですね、他の周りの個体と一緒に混みあって生えています。そうするとこういうふうに、長い樹木を作ってしまうわけです(背が高くて、上部に円錐形もしくは逆円錐形に葉をつける)。
もし幹を誰も付けないで、皆が低く、葉を展開したとしますと、実は誰にとっても得になります。つまり樹木を作るというのは、非常にコストが掛かる。しかも、作るコストだけではなくて、水とか栄養分を、地下から吸収して、10メートル以上に持ち上げないといけません。これは非常にエネルギー的にもコストがかかります。ですから、皆がこの無駄な幹を作らないでやれば、誰にとっても得になって、より沢山の種子を作って、子供が出来るとこう考えられます。
しかし、そうはいかないですね。周りの個体が幹を付けない時に、自分だけ少し幹をつけて、高く葉を持ち上げた個体がいたとしますと、それはより多くの光を受けることが出来て、早く成長できます。所が低かった個体というのは、陰になってしまうわけですね。だから周りの個体が少しづつ幹をつけますと、自分はそれよりももう少し高く、持ち上げることに有利性がでてきます。
何もなければ、幹なんか付けないが良いと思うわけでありますが、皆がつけるから、自分も幹を付けないといけない。ということになって、遂には、最終状態では、非常に高く葉を持ち上げる。そういう無駄な幹を付けるんだ。こういうふうに理解することが出来ます。
ですから樹木が何故幹を付けるのかというのも、ESSで理解することができるんです」。
――魚の中には、成長する過程で、オスからメスになったり、メスからオスに変わるものが凡そ500種います。イソギンチャクを住処とすることで知られる、クマノミ、この魚は生まれたときは総て、オスです。そしてそれぞれの群れの中で、ただ一匹の存在であるメスがいなくなると、体の一番大きいオスが、メスに変わります。多くの卵を産むには、体の大きな個体が最も適しているからです。ESSは、個体の行動は、総て他の個体との関わりの中で決められていくことを説明する理論なのです。
4.ESS理論への賛否
巌佐「ESSのコンセプトを先生が提案された時に、何かこう強い反論と言いますか、それは余り役に立たないというような議論は、あったんでしょうか。すぐにこう素晴らしい理論だと受け入れられたという、どっちなんでしょうか」。
メイナード=スミス「賛成、反対、両方ありました。直ぐに受け入れられたということもありませんでした。反対した人も勿論いました。特にアメリカの著名な集団遺伝学者からは、ESS理論は全くの誤りだ。遺伝子や遺伝学のメカニズムが取り入れられていないと批判されました。確かにその通りです。私は遺伝子のことを含めて、考えなかったんですから。
後に私の教え子が、とても長い時間を掛けて、仮に遺伝子を含めても、結論は同じになることを証明しました。しかし、それはあまりに複雑な理論でした。もし私達が、初めから遺伝子のことを考えて理論を作ろうとしていたら、多分結果は巧くいかなかったでしょう。
遺伝子抜きで理論を作り、その後で確かめるのは、良い方法でした。事実同じ答えになったのですから」。
5.ESSの誕生まで
メイナード・スミス教授は1920年、ロンドンで生まれました。ケンブリッジ大学では、航空工学を学び、卒業後は、飛行機設計のエンジニアを勤めています。その後再び大学に戻り、生物学に選考を移しました。教授は、エンジニアとしての経験が、生物学を研究する上で大変役立ったと言います。
メイナード=スミス「生物学において、私が最初に取り組んだのは、生物の飛ぶという動作のメカニズムについてでした。昆虫や鳥がどのようにして飛ぶのかについて、多くの論文を発表しました。それはとても楽しいことでした。
工学についての勉強は、生物学者にも大変ためになると思います。なぜならエンジニアがやらなければならないことは、自分の設計しているものを、出来るだけ簡単な数学を使って、説明することだからです。単なる理論ではなく、数学を使って説明することは、とっても難しいことです。生物学は複雑なものですから、その難しさは更に増します。いずれにしても、生物学と工学は、研究を進めていく上でとても似通っているのです。
科学には観察だけが必要なのではありません。観察を説明出来る理論が必要です。理論には2種類あります。言葉で表現出来る理論と、公式で説明出来る数学理論です。そして数学理論の強みは、正確であるという点です。例えば、もし貴方が、数学的理論で書いてくれれば、私は貴方の言わんとしていることを正確に理解できます。しかし、言葉で表現されては、理解できないかもしれません。言葉というものは、何かを説明するには、とても曖昧な物だからです。一方、数学や公式は、何かを説明するのに極めて正確な方法です。数学は生物学において、この上なく役に立ちます。なぜなら数学は私たちに、あくまで正確さを求めるからです」。
6.ESSと「進化」
巌佐「進化的に安定な戦略、つまりESSというコンセプトの背景には、生物は環境が変われば、比較的短い時間で、またその性質を変化させるという過程があります。で、一寸考えますとですね、進化というのは大昔に生じて、今の現代の私達の生活にはそれほど関係が無いものである。こういうふうに考えがちでありますけれども、ESSの考えの背景にあるものはですね、それは環境が変われば、人間も含めて、もしくは他の生態系を作っている生物もその性質を変化させる可能性があるんだということがあるわけです。で、その非常に分りやすい例として、抗生物質に対する耐性を病原菌が獲得するという、現代の医療でも非常に重大な問題になっている現象を含めて、メイナード=スミス先生に、聞いて見ましょう」。
メイナード=スミス「今現在も重要な進化が起こっています。例えば、私が生きている間だけでも、抗生物質の登場によって、細菌が大きな変化を遂げました。50年前には、有効だったペニシリンなどの抗生物質が、それに対する耐性菌の出現によって、効かなくなってしまったのは、その例です。
こうした耐性菌の子孫にも、抗生物質は勿論効きません。これは自然淘汰によって、最近の遺伝子が変化しておきた、所謂進化です。そしてこれは総て私達が生きている間に、起こった出来事です。
細菌というのは、人間世界の一日の間に何世代も進化していくものなのです。それに対して人間では、一世代進むのは、大体25年です。このように細菌と人間の進化のスピードには、余りにも大きな違いがあるのです」。
――耐性菌に打ち勝つために、人間は更に強い抗生物質を用いてきました。そしてそれがまた、強い耐性菌の出現を招くという、悪循環に繋がるとメイナード=スミス教授は考えます。例えばこのVREと呼ばれる病原菌は、最も強い抗生物質である、バンコマイシンに耐性を持つ菌で、欧米では年間数千人の死者を出しています。メイナード・スミス教授は、ESSの視点から、医療現場で起こっている抗生物質の使い方に、警鐘を鳴らしてきました。
7.抗生物質の使い方について
メイナード=スミス「抗生物質を適切に使えば、耐性菌の問題は起きなかったなどと言うつもりはありませんが、30年、40年前に、細菌学者のアドバイスにもっと耳を傾けていれば、今のような状況にはならなかったでしょう。これまでの抗生物質の使い方は、犯罪的でさえありました。日本の状況は知りませんが、イギリスでは現在も、家畜の飼料に大量の抗生物質を使っています。これは短期的には家畜生産の生産性を高めるでしょうが、細菌の自然淘汰のスピードを促す行為でもあります。こういったことはすべきではありません。
もう一つ例を挙げましょう。イギリスでは依然として、普通のかぜに対しても、医師たちが抗生物質を処方します。普通の風邪はウイルスによって起こるのですから、抗生物質など用いても何の役にも立たないにも拘わらずです。勿論医師たちはこのことを知っています。しかし、患者が欲しがるからという理由だけで、抗生物質を処方してしまうのです。これも間違った行為です。なぜなら、細菌が薬剤に対する耐性を得るための環境作りをしているようなものですが。何も難しいことを言ってるわけではありません。われわれ進化生物学者は、30年も前から言ってきたことなんです。いずれにしても我々の警告は無視されました。本当に愚かなことをしたと思います。
環境というものは、たゆまなく変化し、決して同じということはありません。ですからその変化に適応するための進化が必要なのです。地球上には、我々と環境を共有する動物や植物がいます。動物の中には、私達を攻撃するものもいれば、私達が食糧とするものもいます。更に人間を病気にする寄生虫というものもいます。
およそ50年前の病気と進化という本の中で、生物に進化を共生する主な力は、その生物に宿る寄生虫の進化であると指摘されています。言ってみればお互い様なのです。生物が進化すれば、寄生虫もそれに応じて進化する。環境は常に、変化していくのです」。
8.ESSと「性」−「性」という難問
――生物界の多様性を解き明かす、ESS理論、一方、この理論では、説明することが難しい問題も残っています。矢原徹一(九州大学教授・植物生態学)さんは、オスとメスの二つの性から成立つ、有性生殖(雌雄二つの性の合体による生殖)は、ESS理論に矛盾するのではないかと考えています。
矢原「メイナード=スミスさんの考え方というのは基本的にゲームということなんですけれども、たとえば、性をもってる生き物で、オスとメスがいるというのも、ゲームの結果なんですね。もし生物の集団の中にオスが沢山いて、メスが少ないという時には、娘を沢山生む母親が有利になりますし、逆にオス不足だと、息子を沢山生む母親が有利になる。そういうシーソーゲームの結果として、オスとメスが一対一になる。というのがメイナード=スミスさんのESSの考え方なんですけれども。
じゃそもそもどうしてオスとメスがいるのか。これを考えると、中々ESSの考え方では説明がつかないんですよ。どうしてかというと、有性生殖というのは、メスがわざわざ自分の遺伝子の半分を捨てて、オスの遺伝子を貰って、合わせて子供にばらつきを作り出す。この考え方を説明するのに、メイナード=スミスさんは随分困られたと思います」。
巌佐「先生の一つの重要なお仕事というのは、有性生殖の進化に関することだと思うんです。子供を作る、繁殖と言いますけども、時に、子供というのは親に似て遺伝的に近いほかの個体を作り出すということなんですけれども、その時に子供が親と全く同じではなくて、別の個体、母親からすると半分だけが、遺伝子渡して、残り半分は、別の個体のものと混ぜてですね、子どもを作る。その結果、子供は親とは同じではなくて、ある意味で混合物になるわけですけれども、それを有性生殖と言いますね。その有性生殖というのは、当たり前と思いがちなんですけれども、先生は実はこれが、説明するのが結構難しいもんであるということをご指摘になったというふうに伺っております」。
メイナード=スミス「これは難しい問題です。こんなふうに想像して見てください。ある動物の群れに、例えばねずみにしましょう。交配しなくても、子供が生める。つまり無性生殖で繁殖するメスのねずみがいたとします。このメスが一匹当たり2匹の子供を生むとする。その2匹は、母親と全く同じ、無性生殖のメスとなります。一方、有性生殖の場合は、同じく2匹子供を生むとすると、メスの数は平均1匹になりますね。こうして考えていくと、無性生殖の個体数は、世代を経るごとに倍になることが分ります。そして最終的には、無性生殖のメスの個体数が圧倒的多数になります。私や貴方のようなオスは、必要なくなってしまいます。ですから、有性生殖でなく、無性生殖の方が、短期的に考えれば、明らかに得です。しかし、それにも拘らず、生物が依然として有性生殖と続けているのは、謎なのです」。
巌佐「性が無くなるということになりますと、例えば植物は花は付けなくても良くなりますし、鹿はオスが角で喧嘩する必要はないし、孔雀が美しい羽をつける必要もないし、もっとわかりやすい、単純な世界にあると思いますが。現実の生物というのは、多くの物が有性生殖を続けれいるということになりますと、何か有性生殖には、有利さと言いますか、子供を作る時に、コピーじゃなくて、混ぜて作らなくちゃいけない。そのことが、何かアドバンテージを齎すんのじゃないかというふうに、思うわけでありますけれども、現在の所ですね、どういうことが性の有利さとしては、ありそうだというふうに考えられているんでしょか」。
メイナード=スミス「これも難しい質問ですね。よく言われることは、これは私も言ったことですが、有性生殖の利点は、二人の異なる個人が持つ有益な特徴や、遺伝的変化が合わさって、子供に現れるという点です。有性生殖は好ましいタイプの進化をより早めることが出来るのです。最も実際はこれほど単純ではありません。その例を挙げましょう。私が子供の頃、イギリスにバーナードショウという著名な作家がいました。頭脳明晰な人でした。彼はある時、美貌で知られた女優から、貴方の頭脳と私の容姿を備えたの子供が出来たらどんなにすばらいでしょう。是非一緒に子どもを作りませんかとの手紙を貰いました。これに対しバーナードショウは、お言葉ですが、もし私の外見と、貴方の頭脳を持った子供が生まれたらどうしますかと答えたそうです。
このように有性生殖の場合、不利な要素が集まってしまうこともあるのです。本当に難しい問題です。ただ有性生殖の群れの方が、全くの無性生殖の群れに比べて、より早く、より適切に進化するとは言えます。これが多くの生物が、有性生殖を続けている理由です。しかし、この説明では完全ではないことも確かです。
私はこれまで、遺伝子や性、動物の儀式的行動など確かに自然淘汰で説明することが難しいテーマを研究してきました。しかし、意図的にそういったテーマを選らんで、研究して来たわけではありません。自然の成り行きで、後で気付いたらそうなっていただけのことです。
だからもし私が科学者にアドバイスするとしたら、貴方が理解できないことから手をつけなさいと言うでしょうね。皆が理解できることなど、研究する価値はないのです。あくまで理屈では説明できないことを、研究しなさいと勧めます。実際私はそうしてきました」。
9.未来への展望
――今回の日本滞在中、メイナード=スミス教授は、京都市内の公立高校(堀川高校)で、特別授業を行いました。若者たちが科学のあり方をどう見ているのか、教授は大きな関心を持っています。
生徒A「今現在、クローン羊とか、そういうクローン技術というのが、凄い世界中で流行ってますけれど、クローン人間というのは、倫理の問題で、各国で禁止をされたりしています。生物とか学問やる時に、倫理観と言うのを越えてしまう時があると思うんですけれど、そのことについてどう思われるでしょうか」。
メイナード=スミス「クローンに限らず、一般的な問題にも言えますが、倫理的に物事を判断していくことは、とても重要なことです。しかし、ことの是非を判断するのは、科学者だけの仕事ではありません。一般の人々も、またその判断に参加すべきなのです。ですから科学者は一般の人たちに、自分の研究していることが分って貰える様、説明すべきなのです。そうすることによって、いろんな人々が倫理の問題を含めた、様々な判断に参加できるます。実際私のこれまでの研究生活を通して、ずっと自分の研究活動を一般の人々にも分かるように、説明してきた積りです」。
生徒B「テロリストたちによって、人間は自滅しつつあります。このような人間たちは、本当に進化していると言えますか」。
メイナード=スミス「貴方の考えに同感です。今人間たちがやってる事は、余り良いとは言えません。人類は顔見知りの人たちばかりの小さな共同体では、仲良くする性質を発達させてきました。貴方は恐らく学校の友達に対しては、親切で優しいはずです。しかし、皮膚の色や言葉や、宗教が違う人たちには中々親切に出来ないのではないですか。私達はそういう優しさに向けて、進化することは出来なかったようです。進化生物学で考えると、人間は一種類しかいません。人間という種は一つだけなのです。ですから私達は、共に生きることを学ばなければなりません」。
巌佐「最近はですね、クローン動物とか、遺伝子医療と言う風な、新しいテクノロジーが、どんどん開発されているようでありますけれども、こういうのは過去に、経験したことは無いというもんでありますので、それらが本当に人類の将来にプラスになるかもしれないし、一面では今までは気が付かない様なマイナスの面を齎すリスクもあるわけです。どういう風に捉えて良いのかというのは戸惑ってるところがあリまして、それで先生に進化生物学の観点から見た時に、どういう風にお考えなのか、聞いてみたいんですけれども」。
メイナード=スミス「遺伝子工学技術は、人間だけでなく、家畜や植物にも応用されています。しかし、まず最初に言わなければならないのは、世界がこの技術を必要としているということです。今世界中で、多くの人が飢えています。食物の生産量が不足しているのです。もし遺伝子工学によって、塩水でも育つ米や、病気に強い小麦が栽培できるようになれば、食物生産を大幅に増やすことが出来ます。これはやらなければならないことです。確かに新しい技術を用いる時には、慎重でなければなりません。しかし、遺伝子工学の利用に、人々は必要以上の心配をしているように見えます。遺伝子組換え食品に対して、遺伝子を食べることだといって反対する人がいますが、私達はいつも食べているんです。レタス一枚にも遺伝子はあるんですから」。
巌佐「人間に対する医療に関してですね、いろんなテクノロジーが遺伝子導入も含めて、あると思うんですけれども、これに関してはどのようにお考えでしょうか」。
メイナード=スミス「慎重であるべきだと思います。しかしひどい病気に苦しむ子供を救うことが出来たり、重い病気の予防になるならば、適切な方法でそれを用いることもあり得ると思います。ただし、それによって悪い結果になる危険性はあります。この問題に関して大事なことは、慎重に少しづつ進めていくことです。また、医師や科学者でけでなく、社会全体がこういった治療の可能性を理解し、それを決定する過程に参加するべきだと思います」。
――生物が利己的に振舞いながら、それぞれの環境に適応し、その結果として安定した状態が生み出されると考えるメイナード=スミス教授のESS理論、それは生物の世界の多様性を解き明かすと共に、総ての生命が絶えなき進化の過程にあり、今人類が抱える問題もまた、その現実から考えなければならないことを示唆しています。
(以上は,ETV2001:2001年12月18日放送(NHK教育テレビ)より,楠 浩一郎さん(九州大学工学部名誉教授)がテレビから起こして文書化されたものです.)