九州大学理学研究院ならびに理学府で生物科学を専攻するポスドク・学生の方々による投票により、以下6名の方々が講演者として選ばれました。(講演順に記載)



神崎 亮平 先生
東京大学 先端科学技術センター 教授

ロボットと昆虫で探る脳
 昆虫はその微小な寸法という制限要因の中で,センサ・脳神経系を発達させ,さまざまな環境下で適応的な機能を進化させてきた.昆虫の小さな身体に潜む感覚・処理・運動能力は最近,「昆虫パワー」といわれる.このような昆虫機能は,われわれ哺乳類の複雑な脳神経系や,複雑化するロボットなどの機械の設計とは対照的である.単純・高速・経済的なセンサ・処理装置の技術開発には昆虫のセンサや脳神経系は魅力的な手本であり,また哺乳類の脳モデルとしてその設計には学ぶべきことは多い.わたしたちは,昆虫パワーを,鱗翅目昆虫のカイコガ(Bombyx mori)をモデル動物として,遺伝子・ニューロン・神経回路・行動にいたるマルチスケールの分析(図1),分析結果の移動ロボットによる実環境下での検証・評価,さらには昆虫と機械を融合した「昆虫/機械ハイブリッド(図2)」の構築を通して,理解し活用する研究を展開している.また最近,世界最速のスーパーコンピュータ(1016FLOPS)で昆虫全脳をリアルタイムシミュレーションする研究を開始した.
 講演では,昆虫の適応能力を生み出す基盤となる脳機能を理解するための「分析・統合論的アプローチ」と,昆虫の適応能力を理解するための新しいアプローチである「昆虫/機械ハイブリッド」について述べ,それらにより解明されてきた昆虫の適応機能について紹介する.さらに,センサ特性や脳機能の改変による行動の人為的制御も含め,昆虫脳理解がもたらす将来像について考える.

図1 図2
図1.昆虫脳とニューロン.カイコガの脳.約10万個のニューロンからなる. 図2.昆虫(脳)操縦型ロボット.昆虫あるいは昆虫の脳をコントローラーとした移動ロボット



近藤 滋 先生
名古屋大学 理学部 生命理学 教授

反応拡散系によるパターン形成
 動物の形態形成を正確に行うためには、それぞれの細胞が胚における自分の位置を正しく知っている必要がある。そのための位置情報は何処から来るのであろうか?
ひとつの答えは、「最初から卵の中に位置情報が存在する」である。これは、ショウジョウバエの分節遺伝子実験で確認され、現在の実験生物学の間で広く受け入れられている考えである。なぜなら、後期発生における動物の形態は、卵の中に存在しうる位置情報よりもはるかに複雑かつ正確だし、人工的に形を乱されても元の正確な形を再生できる生き物も多いからである。複雑な生物の形を作るのにはもっと別の、初期条件にかかわらず形を作ることのできる原理が必要である。その原理は何か?これ発生学における最大の問題であることは疑い得ない。
 この問に対する数理からの答えは、ご存知のように1952年にTuringによって唱えられた反応拡散モデルである。反応拡散モデルは、複雑で不自然な条件に頼ることなく、発生におけるほとんどすべてのパターン形成を再現できるため、これで問題は解決されたと考える理論家は多い。しかし、実験サイドとしては、この問題はいまだに解決してはいない。分子生物学の時代に必須の「分子レベルの証明」がなされていないからである。
 実験的な証明が難しい理由はいろいろあるが、理論の「単純さ」と生物内で実際に起きている反応の「複雑さ」のギャップがひとつ、さらに「シミュレーション」の便利さと現実の生物実験の「ままならなさ」もおおきい。われわれの研究グループでは、チューリングパターンの生物体での存在証明を目指して、魚類の縞模様形成原理を研究しており、分子レベルの証明の一歩手前まで来ているが、完了するにはもう少し時間がかかりそうである。この講演では、ゼブラフィッシュの縞模様を使った分子レベルでのTuring patternの存在証明について、現状、問題点などを紹介し、議論したい。



長谷部 光泰 先生
基礎生物学研究所 教授

植物の世代交代の分子機構とボディープランの進化
 多くの動物と異なり、陸上植物では1倍体と2倍体の両世代に多能性幹細胞が形成されます。そして、それぞれの多能性幹細胞から異なった発生プロセスが進行します。通常は、1倍体から2倍体への転換は受精を介して起こります。1倍体多能性幹細胞から精子と卵が形成され、両者が融合して受精卵が形成され、その後、2倍体多能性幹細胞が形成されます。ところが、受精無しで、1倍体に2倍体多能性幹細胞を生じさせることができ、無融合生殖と呼ばれています。受精無しで種ができることは農業上重要で、多くの研究が行われてきました。しかし、無融合生殖を誘導できる遺伝子は見つかっていませんでした。我々は独自に開発したヒメツリガネゴケという植物を使い、クロマチン修飾を制御するポリコーム遺伝子が、無融合生殖を制御するマスター遺伝子であることを明らかにしました。この遺伝子を破壊すると1倍体に2倍体幹細胞ができ、2倍体植物体を形成することがわかりました。さらに、このことから、植物の1倍体と2倍体の転換にはクロマチンの修飾状態の変化が関係していることが分かってきました。
 さらに驚きだったのは、できあがった2倍体を特定の条件下で培養していると絶滅した化石植物リニア類に似た形態になったのです。このことから、陸上植物のボディープランがどのように進化したのかについて新しい仮説を議論したいと思います。



吉村 昭彦 先生
慶応義塾大学 医学部 微生物免疫学教室 教授

SOCS および Spred ファミリーによるサイトカインシグナルの制御と生体ホメオスタシスの維持
 我々の研究室では「疾患を分子の言葉で理解する」をスローガンに分子生物学、生化学の技術を基盤に疾患モデルやヒト患者検体の解析を行っている。いわゆるreverse-genetics, reverse medicineと呼ばれる研究手法である。すなわち生体機能や疾患に関連すると思われる分子をクローニングし、次に生化学的、細胞生物学的な解析を行うとともに、遺伝子改変マウスを作成し個体レベルでの機能解析を行う。これらの成果をもとにヒトの疾患を理解しようとする手法である。
 我々は特にサイトカインのシグナル伝達系に着目している。サイトカインは免疫系、造血系、内分泌系、神経系を制御する液性因子の総称である。これらの多くは様々な刺激により誘導され生体の恒常性(ホメオスタシス)の維持に関与し、逆に多くの疾患でサイトカインが病態形成に必須の役割を果たすことが知られている。このためサイトカインのシグナル伝達経路と制御機構の解明には多大の努力が払われてきた。このなかで造血因子や、インターロイキン(IL)、インターフェロン(IFN)などはJAK型チロシンキナーゼを介してRas/ERK経路とSTAT転写因子を活性化する。我々はこれらの経路を特異的に調節するCIS/SOCSファミリーとSpred/Sproutyファミリーを発見した。
 CISやSOCSはサイトカイン受容体やJAKに直接結合してその活性化を抑制する。またSpredはRasやRafと複合体を形成しRafの活性化を抑制する。SproutyはPIP2と結合することでPKCの活性化を抑制する。遺伝子改変マウスの解析からSOCS1やSOCS3は免疫担当細胞で重要な機能があることがわかった。SOCS1はIFNγの作用を制御することで、またSOCS3はIL-6の機能を抑制することでそれぞれ異なった炎症反応(Th1型とTh17型)を制御することが明らかとなった。一方Spredはマスト細胞や好酸球の増殖因子を抑制しアレルギー抑制に働く。また血管内皮細胞増殖因子(VEGF)のシグナルを制御してリンパ管形成を調節する。このように遺伝子改変マウスの解析からこれらの調節因子がどのような生理機能、あるいは病態形成に関わるかが明らかにされた。さらにヒトの遺伝性疾患の研究からSpred1は家族性神経細胞腫1型の原因遺伝子であることも明らかにされた。Spredはreverse-geneticsからヒト疾患への意義が明らかにされた好例である。
 本講演ではSOCSとSpredを中心にシグナル制御からみえるホメオスタシス維持機構とその破綻による病態について議論したい。



正井 久雄 先生
東京都臨床医学総合研究所 ゲノム動態プロジェクト 参事研究員

染色体DNA複製:ゲンカクな制御からファジーな制御へ
 DNA複製の研究は、ワトソンとクリックによりDNAの二重らせん構造が発見されたときに開始したと言える。これまで55年間の研究の前半2/3はファージ、大腸菌を中心とした原核細胞を用いた研究に先導された。その後、酵母、カエル卵抽出液、動物細胞など多様な材料を用い、真核細胞の複製の研究が進行してきた。原核細胞を用いた複製研究から明らかになったのは、その制御の「厳格性」である。一般に複製起点配列に一塩基の変異が起こってもイニシエーターは認識できなくなり複製開始が阻害される。これに対して、真核細胞では高等生物になるほど、複製開始と制御の可塑性が高くなる。たとえばイニシエーターORCは、高等生物では塩基配列特異的な結合を示さない。また、複製開始部位の選択、あるいはそのS期内でのタイミングなどの複製プログラムは発生分化の過程、細胞型で変動することを示すdataが蓄積しつつある。最近の研究から細胞をとりまく環境の変化によっても複製プログラムが変動しうることが示されている。このような弾力性、柔軟性の高い、一見ファジーなシステムは、真核細胞において複製に限定されることなく一般的に染色体の分配、維持のメカニズムに内蔵されている。この可塑性こそ高等生物の多様な生物機能の発現に本質的な意義を有すると考えらえる。一方、原核、真核に共通なのは、その制御メカニズムの多様性である。これは生物の多様性を反映するとともに、多重な制御による複製の厳密かつ柔軟な制御を可能にしている。
 すべての生物は、それが誕生したときから地球の自転と公転の影響のもとで進化してきた。したがって、生物にとって、概日リズムや、代謝サイクルといった周期的制御は進化的にも最も古く、その生存増殖ときわめて深く関連していると考えられる。細胞周期もその例外ではないであろう。最近の研究から、複製、チェックポイント因子が概日リズムや代謝サイクルなどの制御に関与することが明らかになりつつある。これはDNA複製の細胞周期制御とほかの生物周期現象とのクロストークを示唆するものであり、今後複製因子の未知の生物学的機能を解明するうえで重要である。
 本講演では、私がこれまで28年間行なってきたDNA複製の研究をふりかえりつつ、DNA複製のメカニズムの研究が、ゲノム/染色体の維持、機能発現の制御機構、細胞機能および個体の高次機能制御の解明、さらに癌をはじめとする種々の疾患の新規治療法の開発などに与えるインパクトについて討論したい。



深津 武馬 先生
産業技術総合研究所 生物機能工学研究部門 研究グループ長

共生と生物進化
 自然界において、生物というのは周囲の物理的な環境はもちろんのこと、他のさまざまな生物とも密接なかかわりをもってくらしています。すなわち、個々の生物というのは生態系の一部を構成していると同時に、体内に存在する多様な生物群集を含めると、個々の生物それ自体が1つの生態系を構築しているという見方もできるのです。
 非常に多くの生物が、恒常的もしくは半恒常的に他の生物(ほとんどの場合は微生物)を体内にすまわせています。このような現象を「内部共生」といいますが、これ以上にない空間的近接性で成立する共生関係のため、きわめて高度な相互作用や依存関係がみられます。このような関係からは、しばしば新しい生物機能が創出されます。共生微生物と宿主生物がほとんど一体化して、あたかも1つの生物のような複合体を構築する場合も少なくありません。
 共生関係からどのような新しい生物機能や現象があらわれるのか?共生することにより,いかにして異なる生物のゲノムや機能が統合されて1つの生命システムを構築するまでに至るのか?共に生きることの意義と代償はどのようなものなのか?個と個、自己と非自己が融け合うときになにが起こるのか?
 本講演では、このような共生と生物進化の関わりについて、その多様性、相互作用の本質、進化的な意義、応用利用への展開の可能性など、基本的な概念から最新の知見までをわかりやすく紹介し、そのおもしろさと重要性についての認識をみなさんと共有することをめざします。
[Selected References]
† Kondo N., Nikoh N., Ijichi N., Shimada M., Fukatsu T. (2002) PNAS 99: 14280-14285.
† Tsuchida T., Koga R., Fukatsu T. (2004) Science 303: 1989-1989.
† Kutsukake M., Shibao H., Nikoh N., Morioka M., Tamura T., Hoshino T., Ohgiya S., Fukatsu T. (2004) PNAS 101: 11338-11343.
† Nakabachi A., Shigenobu S., Sakazume N., Shiraki T., Hayashizaki Y., Carninci P., Ishikawa H., Kudo T., Fukatsu T. (2005) PNAS 102: 5477-5482.
† Hosokawa T., Kikuchi Y., Nikoh, N., Shimada, M., Fukatsu T. (2006) PLoS Biol 4: e337.
† Hosokawa T., Kikuchi Y., Shimada M., Fukatsu T. (2007) Proc R Soc B 274: 1979-1984.
† Nikoh N., Tanaka K., Shibata F., Kondo N., Hizume M., Shimada M., Fukatsu T. (2008) Genome Res 18: 272-280. † シリーズ21世紀の動物科学(11)「生態と環境」培風館(2007)
† 科学者が語る科学最前線「生物の生存戦略:われわれ地球生物ファミリーはいかにしてここにかくあるのか」クバプロ(2008)