『遺伝』、今月の解説,1998年

「ゲノム刷込みの進化:コンフリクト説ではどこまで説明できるのか?」

       巌佐 庸(九大・理・生物)

 2倍体の生物では、両親から1コピーずつの対立遺伝子(アレル)を受け取り、それらは同等に発現される。このメンデル遺伝学の基本からずれた例が、最近マウスやヒトの胚の20余りの数の遺伝子で見つかっている。それらでは、父親由来のアレルと母親からのアレルのうち一方だけが発現し他方は不活性なのである。どちらが発現されるのかは遺伝子ごとに決まっている(図1)。この現象を「ゲノム刷込み」と呼ぶ。

 一般的にいって胎盤(母親からの栄養を得るための器官)の発達に関与したり胚の成長を高める遺伝子では父親由来アレルが発現し母親由来アレルが休む。逆に胚の成長を抑えるような遺伝子では母親由来アレルだけが発現、父親由来アレルは不活性という傾向がある。方向性を一言でいえば、父親由来の遺伝子が栄養を得るのに積極的なのだ。

 DNA塩基配列は同じであっても精子と卵の形成過程に異なるメチル化のパターンが異なりそのために親の由来による違いが生じる。遺伝子発現調節機構の詳細については、分子遺伝学者が現在つぎつぎと明らかにしつつある。

 ではどうして一部の遺伝子でゲノム刷込みが生じているのだろうか?D.ヘイグは、遺伝子の間で利害の対立(コンフリクト)があり、そのために自動的に進化してしまったという説明を考えた。胚の中の遺伝子にとってできるだけ多くの栄養と世話を母親から引き出すことがよいかといえばそうではない。というのも、同じ母親から生まれる兄弟姉妹の数が減ってしまうからである(図2)。このような母親の資源消費を控え目にする傾向は、父親由来のアレルより母親由来のアレルで強い。というのも、雌が生涯を通じて1匹以上の雄と交尾する可能性があると、同じ母親から生まれるこどもでは母親由来のアレルは確実に50%の確率で共有されているのに、父親由来のアレルにとってはそれよりも低くなるからだ。

 このような考えは、「利己的遺伝子」というスローガンで生物界の諸現象を理解しようとしてきたオックスフォード進化生物学派の若手研究者によって展開されてきた。同じ個体のなかの遺伝子が闘争するなど刺激的な言葉使いをするので、いかにもあやしげである。またそのような擬人的な現象が実現するためには、どの程度の複雑な機構が必要なのだろうか?
進化モデル

 このような疑問に答えるには、数理モデルをたてて、単純な仮定のもとで予想される進化が生じるかどうかを調べることが有効である。

 九大の数理生物学研究グループでは、つぎのようなモデリングをおこなった。



 まず胚の成長因子を考えそれが沢山生産されると母親はより多くの栄養を供給するので成長が速く生存率も高いとする。成長因子をコードする遺伝子の上流部にあって、発現量やタイミングを規定している調節領域の塩基配列の進化を考える。一般には父親から来たか母親から来たかによって2つの異なるレベルで発現できるものとしておくと、(x,y)という2つの量で調節領域の状態を表わすことができよう。

 集団は(x,y)の異なる遺伝子の集まりである。もしxが大きいものが平均的にみてより多くのコピーを残せるとすれば、次の世代にはxの集団平均値はわずかながら大きい方へとずれることになろう。このような平均値の変化は、量的遺伝モデルによって表わすことができる。

 ここで大事なステップは、あるアレル(x,y)が次の世代で平均的にいくつのコピーを残せるか、つまり適応度をきちんと計算することである。このときに、同じ母親の子供がどれだけの確率で遺伝子を共有するのか、限られた資源をめぐってどのように競合するのか、に関する仮定を明確にしなければならない。

 計算した結果を量的遺伝学の式に代入すると進化の軌跡を描くことができる。はじめはx=y、つまりゲノム刷込みがなくて親の由来に関係なく同じだけの発現をする状態からスタートして、しだいにxが増えyが減るように進化し、ついにはy=0となる(図3a)。つまり胚の成長因子はすべて父親由来のコピーでつくられ母親由来のアレルは不活性になると結論できる。
 逆に成長を抑制する作用のある遺伝子についてモデルをつくってみると、母親由来のアレルが発現、父親由来のアレルは不活性となる(図1b)。

 これらが途中で止まることはなく、母親がわずかの確率でも複数の雄を受け入れる可能性があればゲノム刷込みは必ず進化してしまう。そのためには、複雑な機構など何も必要がない。母親からの栄養供給や世話の量が増大する方向に働く遺伝子であれば必ずゲノム刷込みが進化し、その方向は父性由来アレルだけが発現するものである。逆にそれを抑える働きのある遺伝子では母性由来アレルだけが発現するように進化するはずである。これはマウスやヒトのゲノム刷込みの遺伝子についての大まかな傾向をうまく説明しているといえる。

 ところが、よく調べるといくつかの問題点が浮び上がってくる。以下に主なものを挙げて、基本モデルに別のプロセスを考慮に加えることで、これらに答えることを考えてみよう。



問題点1:なぜ胚成長にかかわる遺伝子のすべてがゲノム刷込みを受けないのか?

 上の簡単なモデルでは、必ず刷込みが進化すると予想される。しかし胎盤の形成や胚の成長にとって重要な遺伝子であっても刷込みを受けず、両方のアレルが発現するものが見られる(たとえばIgf1)。またマウスでは刷込みを受けヒトではうけていない遺伝子がある(Igf2r)。ということは、ゲノム刷込みを進化させる力とともに逆にゲノム刷込みの進化をとどめる力があり、これらの両者の相対的強さによって刷込みが進化するかどうかが決まるのではないか。
 刷込みを不利にするプロセスとして、成長因子をコードしている領域に生じた劣性有害突然変異を考えてみた。生物は毎世代複製の過程でわずかながらミスをしそれが突然変異となるが、そのような機能不全遺伝子は自然淘汰で排除されながら低い頻度で集団中に隠れている。このように劣性有害遺伝子が集団中にあると、片方だけの遺伝子発現というのは危険が高い。刷込みがなく2つとも発現していれば、一方が機能不全でも他方がカバーしてくれるからである。そのため劣性有害遺伝子はゲノム刷込みの進化を押し留める作用がある。このことは、遺伝子の適応度をきちんと計算することで同じモデルによって示すことができる(図4)。



問題点2:なぜまったく逆向きの刷込みを示す遺伝子があるのか?

 Mash2という遺伝子は胎盤形成に必要だが、コンフリクト説の予想とは逆に、父親由来アレルが不活性で母親由来アレルだけが発現される。これはどう説明したらよいのだろう。1つの可能性は、この遺伝子の過剰発現が妊娠初期の流産をひきおこすのではないかというものである。ヒトでも受精卵のうちで妊娠途中で流産するものの比率はかなり高く、そのほとんどはごく初期、着床の前後で生じている。このような流産が生じても、母親はまだそれほどの栄養を胚に投資していないので、他の胚に置き換えればよいだけである。この流産は母親由来の遺伝子にとってよりも父親由来の遺伝子にとってより重大である。母親由来の遺伝子は、失敗して流産をしたとしても置き換えられた兄弟姉妹の中にコピーのい確率が高いので、冒険が許されるからだ。

 この妊娠初期におこる流産の危険をいれて計算してみると、ある程度危険が高いと進化方向の逆転が生じることを示すことができる。



問題点3:父性ダイソミー胚が正常胚よりも小さいことがあるのはなぜか?

 父親由来の遺伝子を2組もって母親由来は持たないような胚「父性ダイソミー」をつくると、ゲノムの総量は同じでも正常胚とはかなり違った表現型をもつことがありそれは刷込みの証拠とされる。父親由来の遺伝子の方がより積極的に成長を促進するのだから、正常胚よりも大きくなるはずである。実際Igf2などの刷込み遺伝子を含む染色体領域について父性ダイソミーをつくると確かに正常胚よりも大きくなるので、コンフリクト説の有力な証拠と考えられてきた。しかしよく調べてみると父性ダイソミーが正常胚よりも小さくなる例も見られる。これはどう考えたらよいのだろうか?

 ゲノム全体を父性由来とするという極端なことをすると、胎盤は大きく母体の中に食い込んで行くが胚そのものは貧弱になる。逆に母性ダイソミー(母性由来のゲノムが2組で父性由来がなし)は、胚は正常に見えるのに胎盤の成長が極端に悪くて死んでしまう。これからゲノム刷込みを受けている遺伝子が胎盤と胚自身との間での配分に影響すると示唆される。

 ある遺伝子の発現量が胎盤への配分比率を増加させるとして、その遺伝子についての発現量の進化をモデルで解析してみる。それは細胞の発生運命の決定にかかわる遺伝子かもしれない。すると母親由来アレルは不活性で父親由来だけが発現する刷込みが進化することが示される。そこで父性ダイソミーにすると通常の2倍量の遺伝子発現があるので、極端に大きな胎盤比率が実現されることになる(図5)。しかし母体からの栄養をとるには胎盤も胚自身もともに大きくなければならないと考えると、あまりに極端に胎盤サイズを強調しても速く成長できるわけではない。このようなときには父性ダイソミー胚のサイズは正常胚よりも小さくなる可能性がある。



問題点4:X染色体の刷込みは逆転しており、それは性による違いの反映である。

 マウスの胚の大きさに関するデータがある。雌(XX)にくらべて雄(XY)の方が大きい。さて実験的にX染色体を1本だけもちY染色体を持たないXOという個体(常染色体は正常)をつくると、これはYにある性決定遺伝子を持たないので雌になる。ところが、この1本だけあるX染色体が父親由来(Xp)か母親由来(Xm)かで胚の大きさがかなり異なることがわかった。どちらが大きかったのだろうか?コンフリクト説が正しければ父親由来の遺伝子は積極的に母親から栄養をとろうとするのだから父親由来のXをもつXpOの方が大きいと予想される。ところが事実は逆で、母親由来のXをもつXmOは雄とほぼ同じ程度大きく、父親由来のXをもつXpOは正常雌よりもさらに小さかった。これはどのように理解すれば良いのだろう?

 X染色体は常染色体とは違って、父親由来と母親由来とで息子と娘への伝わり方に偏りがある(図6)。母親由来のXmは息子と娘に同等に入るが父親由来のXpは娘にだけ伝わる。この非対称性のために、息子と娘での胚サイズの違いを親由来の違うXによって実現することが可能になるのだ。たとえば一番簡単なモデルとして母親由来のXmは胚サイズmをもたらし父親由来のXpは胚サイズpをもたらすとしよう。息子はXmYなので(Y染色体は性決定遺伝子以外ほとんど空っぽといってよい)、サイズはmになり、娘はXmXpだが、X染色体のランダム不活性化のために体の半数の細胞でXmが発現、他の半数の細胞でXpが発現するため、結果としては(m+p)/2となるだろう。息子のサイズが娘のサイズよりも大きいとすると、mは雄胚のサイズにpは雌胚よりもさらに小さなサイズに進化してしまうはずである(図7)。ここで、XOの個体をみると、XmOは息子XmYと同じ大きなサイズ、XpOは娘よりもさらに小さなサイズを示すことになる。これが正に観測されていることである。 


 このようにX染色体はゲノム刷込みによって息子と娘の胚サイズの違いをコードすることができ、そのためにコンフリクト説とは正反対の結果をもたらすことになるのだ。



 以上の議論を一言でまとめると、常染色体上の遺伝子の刷込みについてはコンフリクト説は、基本的に正しいと思われ、問題点とされてきたことも基本モデルのわずかな変更で説明することができる。これに対して、X染色体上の遺伝子のゲノム刷込みについては、雌雄の違いが逆向きに刷込みをひきおこすために、コンフリクト説はあてはまらない。


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