(要約)
生態学は動物・植物の野外でのダイナミックス,分布,共存,進化などについての生物学である.たとえば野外の動物や植物の個体数の変動を調べることがある.その際には,人間の人口変化を考えるときとまったく同じように,大きさがいくらの動物は平均何個の卵を産み,そのうち何割が生き残るか,といったことを野外調査や実験で調べ,数理モデルによって個体数変動を予測する.1,2)
生態学の数理モデルでは,典型的には捕食者と被食者(餌となる生物)の個体数変動を表すロトカボルテラ方程式のように,非線型の微分方程式を用いる.そのときには,生物の量は個体数や総重量で代表されて,空間構造は通常ランダムであると見なされてきた.しかしながら生物個体の分布はランダムではない.たとえば森林を構成する樹木は種子をまき散らすことで子供をつくるが,その散布範囲は通常かなり限られている.集団の中が十分にかき回されることはなく,地図上に分布を描くと同種の生物が固まりをつくる傾向がある.3,4)
このような特有の空間分布構造を捉えるモデルとして,2次元の格子の各点をいろいろな生物が占めると考えて,隣り合う格子点の間でだけ相互作用すると考える「格子モデル」が盛んに研究されるようになっている.その結果,個体の空間配置がつくり出すパターンが注目されるようになり,またそのようなパターンを無視したモデルでは,生物の共存や進化などについても間違った結論を導く場合が知られるようになった.ことに植物は動けないために,一定面積の中に同じだけの個体数がいるとしても,それが数カ所に集中して生える場合と,離ればなれになっている場合では,その植物群落の未来が大きく違ってくる.近くに他の個体がいれば,光や栄養塩類の奪い合いが起こるが,逆に孤立している樹木は風に弱く倒れやすいこともあろう.
この解説論文ではそのような格子モデルによる生態現象解析の例として,亜高山帯で樹木が多数の縞状に枯れて波状のパターンを描く現象,パナマの熱帯季節林の林冠ギャップ動態,病気による宿主植物の絶滅,毒をつくって戦うバクテリア,の4つを取り上げ,空間構造を無視した「平均場近似」の取り扱いでは間違った予測がえられることを説明したい.また解析手段としてデカップリング近似の一種であるペア近似を紹介する.
これらと似た格子モデルの力学は,統計物理学の相転移現象の研究者によっても盛んに研究されてきた.15)物理学のモデルでは,人間が観測できるものはマクロ量の平均値や揺らぎであり,ミクロな過程を見ることができない.これに対して,生物学の格子モデルは時間スケールでゆっくりしており空間スケールでもはるかに大きい.そのために個々の要素(樹木や細胞)の状態変化を逐一追跡することができ,物理学とは異なる解析が可能になる.
日本の亜高山帯には,シラビソやオオシラビソが優占する林がある.そこでは,林冠木が立ち枯れる部分が多数の白い帯のように広がり120〜150m間隔で平行に並ぶ「縞枯れ」が見られる.隣り合う立ち枯れ帯の間では,大きい樹木から小さいものへと樹高が規則的に並ぶ(図1).このような縞枯れを作り出す原因は,一定の方向から吹く恒常風だといわれている.立ち枯れ帯のすぐ風下側には高い樹木が並んでいて,恒常風に直接さらされて蒸散が過剰になり,やがて立ち枯れる.それ以外の樹木は風に直接さらされないので,ほぼ一定の速さで樹高を増す.その結果,全体としてパターンを保ったままで,ゆっくり風下に動くことになる.昔の記録と比べると1年当たり1mから1.5mで動くことがわかっている.縞枯れ現象は,東北地方の八甲田山や紀伊半島の吉野山など日本全国に見られるだけでなく,北アメリカでもニューハンプシャー州やニュージャージー州などでモミ属の優占する森林でみられ,波状更新とかモミの波と言われる.
規則正しい波状の縞枯れパターンがいったん出来上がれば,その形を保って移動することはよく理解できる.しかし最初にそのような縞枯れパターンがどのようにしてできあがるのかは難問と考えられてきた.そこで不規則なパターンからスタートしても,簡単な枯死と成長のルールに従って変化していくと縞枯れ状の進行波が自然にできあがるのかどうか,つまり進行波の安定性の問題を考えることにした.このときモデルは現実的で詳細なものではなく考えられる限りもっとも単純なものとする.5,6)
まず,1次元に多数のサイトが並んだ格子を考える.このときの1つのサイトは大体5mから10mの帯にあたり,そこにはほぼ同じ年齢と高さをもつ樹木のコホートが生育しているとする.恒常風が片方から(たとえば左側から)吹くとして,その影響で,あるサイトの樹高が風上側のサイトに比べてずっと高いと次のステップで枯死し,そうでないと一定のスピードで成長する,としてみよう.すると,図2Bに示されているように,3角形が並んだ鋸歯状の形に収束することが証明できる.6)これで次のステップでは各3角形の最も樹高の高いサイトが枯れて他のサイトは成長することになり,同じ形が維持されて風下側に平行移動することになる.これは縞枯れの形成をうまく説明しているように思える.
しかし問題がある.このような1次元のモデルでは縞(立ち枯れ帯)と次の縞との間隔には広い場所と狭い場所でかなりのバラツキができる(図2).ところが現実の縞枯れでは120m〜150mと非常に均一に揃っている.そこで,枯死のルールを変更することによってより規則的な空間パターンを作り出すようにできないかどうかを考えた.6)
まず最初に風上サイトとの樹高差だけでは不十分で,絶対の樹高も死亡率を高めるのではないかと考えていくつかのモデルを試したが,必ずしも規則的になるとはかぎらなかった.そこで,2次元のモデルを考えたところ,1次元よりもずっと規則的なパターンをつくり出すことに気がついた.たとえば,森林を格子状に約10m四方の格子に仕切ってそれぞれでは樹高がそろっていると考えてみる.この2次元正方格子空間の1つ1つの格子サイトについて,その樹高が風上側の隣り合うサイトの平均樹高よりもはっきりと高い場合には恒常風の悪影響によってしばらくたつと立ち枯れるが,そうでなければ枯死せずに一定速度で成長するとしよう.この場合,はじめのパターンでそれぞれのサイトでの樹高をランダムに選んだ初期状態から出発しても,美しい縞状のパターンがすぐに出来上がり,ほぼ同じ形を保ちながらゆっくり風下に移動するようになる(図3).できた縞は風向きに垂直で,縞の間隔はほぼ一定だが,所々で縞どうしが融合したり,なかなか縞枯れらしい姿ができる.このことは簡単な相互作用で縞枯れが自動的に生じることを示している.より丁寧な解析でも1次元よりも2次元の方が立ち枯れ帯の間隔が均一になりやすいと結論できた.6)
基本モデルでは風上側の隣りのサイトとの樹高差だけが効いてくるとしていた.これは風避けの効果がサイト1つ分(約5m)にしか及ばないとしていることになる.風避け効果がもっと長い距離におよぶ場合を考えるために,風上側のいくつかのサイトの平均樹高と比べる死亡ルールを調べることにした.結果はやはりきれいな縞ができるが,そのときに縞の進み方がずっと速くなることが分かった.逆に言えば,最終的にできた進行波の速さを知れば,風避け効果のおよぶ距離を推測できることになる.
このモデルが縞枯れの基本を説明できるとすれば,現実の森林での縞の間隔や移動スピード,樹木の生長速度,それに最高樹高などのデータから,樹木が新たに風にさらされてから立ち枯れるまで約9年かかること,風避け効果は平均14mにわたること,風上との樹高差が3.4m以上あると枯れることなどの予測ができる.5)これらは観察によって確かめることができるだろう.
以上のモデルは決定論的だが,最近,ノイズを加えた場合の方が,より安定した規則的な縞ができるという計算を行なっている(佐竹暁子その他).落雷,小規模の地滑り,虫害などによって1つのサイトがランダムに除去されるかもしれない.また基本モデルでは,死亡の率が風上側サイトとの樹高差がある値を越えると確実に枯死,越えないと確実に生存と仮定したが,枯死確率が樹高差の滑らかな増加関数とするという確率的枯死ルールも考えられる.これらの2つとも縞どうしの間隔を均一化し,ことに確率的枯死ルールではその効果が大きいことが示された.これはパターンの規則性がノイズによって安定化されるという物理学でよく見られる現象の一例といえる.ノイズの効果と2次元の効果が組合わさって,現実の亜高山帯の森林で見られる規則的な縞を作ると結論できよう.
森林生態学の中でここ20年ほどの間に大きくなった分野に,森林の更新過程の研究,ことにギャップ動態とよばれる分野がある.樹木が林冠木としていったん確立すると100年から200年にわたって安定にその場所を占め続ける.だからその森林にどの種類の樹木が生育するかということは,前に占めていた大きな林冠木が倒れて,そのすきま(ギャップ)を誰が埋めるかで決まるといってよい.できたギャップの大きさによって照度や乾燥などさまざまな物理的要因が違う.今まで小さな樹木として森の林床で待っていたブナなどが成長して埋めるのか,遠くから飛んできた種子からスタートした樹木が埋めるのかにも影響する.だから広い森林の中にどの程度の大きさのギャップがいくつあるのか,ギャップはどのような頻度で作られどのように埋まるのかといったことに注目した「ギャップ動態」の研究が森林生態学の中心課題となってきたのだ.
従来から森林の変化を予測するにはコンピュータシミュレーションモデルが使われてきた.それらでは,空間構造は考えずに森林を多数のパッチに分けてそれぞれが独立に状態遷移をすると仮定することが多かった.これは実は間違った仮定である.
パナマのバロコロラド島における50haプロットと呼ばれる永久調査地では,5メートルおきのメッシュに切って樹木の大きさ・種類などが調査されている.図4は,1983年と1984年の2回の調査でギャップサイト(最大樹高が20m以下),林冠サイト(最大樹高が20m以上)であった場所,その間に倒木などで林冠サイトからギャップサイトに変わった場所が示されている.変化した林冠サイトの変化の割合をまわりにある低いギャップサイトの数に対して表示すると,ギャップサイトへの遷移確率は線形的に増大することがわかる(図5).これは,連続する林冠の中では木が倒れる率は低いけれどもギャップに隣り合わせると倒れる危険が高いこと,言いかえるとギャップは,すでにできた場所から周りへと侵食して広がる傾向があることを意味している.もちろん森林すべてがギャップになるわけではなくランダムな回復も生じて平衡状態では両者がバランスをとっている.
考えてみれば,熱帯季節林で一旦できたギャップが次第に拡大する傾向は先の節で紹介した亜高山帯林の縞枯れで生じる現象と相通じるものがあるといえよう.そのため植生の低い場所(ギャップサイト)は互いに固まりになりやすいし,ギャップサイズ分布は,ランダムな場合と比べて大きなギャップをより多く含むものになる.
ギャップ形成および修復は,格子の各サイトの状態遷移として表わすことができ,また遷移確率が回りの状態に強く影響を受ける.これをマルコフ遷移モデルと考えて解析してみると,統計物理学の格子モデルでよく調べられているコンタクトプロセスとも近いモデルになる.
さて,個々のサイトの状態遷移の確率ルールが与えられたときにそれから平衡状態の森林でのギャップの割合や,ギャップサイズ分布が計算できるだろうか?これは厳密には不可能なので,デカップリング近似を導入することで考えた7).まず,サイトを林冠サイトを+,ギャップサイトを0と表わす.+から0への遷移は周りにあるギャップサイト数の1次関数である.ギャップ修復についてはギャップサイトあたり一定の率で林冠サイトになるとしよう.
このときシミュレーションでできる空間構造は図6Bに一部を表示したようなギャップが集中したパターンとなっている.図6Aにはそれと同じだけのギャップ面積があるランダム分布を示した.そこでは孤立したギャップサイトが多数あるのに対して,図6Bでは互いに固まる傾向があるのがわかる.さて,「あるサイトがギャップである確率(全体密度)」を考えるとこれは両者で等しい.ところが,「ランダムにとったギャップの隣をみたときにそれがギャップである確率(局所密度)」という量を考えるとランダムな図6Aでは全体密度と等しいが,集中分布をしている図6Bでは全体密度よりもはるかに高くなる.全体でのギャップの割合は8%しかないのに,ランダムにとったギャップの隣りをみればそこがギャップである確率は33%もあるのだ.
さて,これらの違いを無視して動態を取り扱うのが平均場近似である.生態学では相互作用が隣り合う個体で生じることが多いが,取り扱いを簡単にするために,空間構造はあたかもランダムであるかのようにしてモデルをつくることが伝統的であった.すると,ギャップの割合の変化は,
・・・・(式は省略)
となる.bはギャップが林冠サイトへに回復する率,dととはギャップ形成率を表わすパラメータである.ここで,ギャップの形成を表わす第2項では,ギャップでないサイトの周りにあるサイトがギャップである確率を速度の係数にもってくる必要があるのだが,それを単純に格子全体におけるギャップの頻度で置き換えてしまっている.この「平均場近似」による予測は,図7の点線が示すように,ギャップの平衡量を過大に推定していまう.
正しく計算するならば,上の式の第2項の係数は全体密度ではなくて局所密度,で表現せねばならない.すると,今度は局所密度がどのように決まるのかを考える必要が出てくる.そこで局所密度も独立した変量と考えて微分方程式を導き,両者を連立することが考えられる.
・・・・(式は省略)
zは各サイトの隣接サイト数である.この後者の式を導くにあたっては近似が入っている.というのも,きちんと計算すると近傍でつながる3つのサイトに関連した量が含まれてくるからである.この3サイト間の相関を2つのサイトの相関の組み合せで近似することで,全体密度と局所密度だけで閉じた力学をつくるのだ.これは統計物理学で使われるデカップリング近似をペアまでで止めたやり方であり,ペア近似と呼ばれる.8)図7に示すように全体でのギャップの割合やギャップの隣りがギャップである割合など定量的にもかなりうまく予測することができる.
さて,最初にのべたように1つの重要な側面は,ギャップの大きさの分布であろう.ギャップサイトがいくつかつながっているものの全体を1つの大きなギャップと見なすことにすれば,そのようなクラスターのサイズ分布をみることがすなわちギャップの広さの分布を見ることであろう.たとえばあるサイトがサイズ3のギャップサイトクラスターに含まれる可能性を計算するとしよう.図8にはサイズ3のクラスターの2つの例があるが,3つのギャップサイトの周りを囲む林冠サイトの数は一方は8であり他方は7である.またそれらを回転したりシフトしたりしたものを考慮するといったことを行なう.これはまさに,サイトパーコレーションのモデルで,クラスターサイズの分布を計算する方法を基礎にして求められる.ただし通常のパーコレーションモデルでは各サイトが独立と仮定するが,ここでは独立ではなくかなり強い相関があることを考慮せねばならない.最初に1つをとったときにそれがギャップである確率はであるが,その他のものはギャップサイトの隣りという条件がついているので,むしろを使う方が望ましい.ただしここでもペアの相関だけでそれ以上の長距離の相関を表わすというペア近似の精神が使われている.
結果は,図9にあるように結構うまく表現することができる.ここで平均場近似に相当するものは,各サイトが独立にの確率でギャップとするものだが,これではかなりずれた値になることが示せる.
その後,1年間の変化だけでなく,10数年にわたる植生の高さを追跡した地図データが手に入り現在解析をすすめている.ギャップサイトが修復される速度が,まわりにある林冠サイトの数とともに線形で増大するという結果が得られている.ギャップ形成率は回りのギャップサイトの数とともに線形で増大することはどの年でも正しいけれどもその率は80年代は高く90年代に入って低くなったことが示された.同じ傾向は日本の冷温帯林である小川群落保護林でも見られているので世界的現象かもしれない.このように格子モデルを用いて地球環境変動に関連した森林動態の解析ができるのである.
次に植物に伝染する病気のモデルを考えてみよう.9)
例によって植物は格子状の生息地に生育し,地下茎などの広がる範囲や種子の散布範囲が狭いことによって隣の格子に空いた場所がある場合にしか子供が増やせないとする.その結果,自動的にかたまって生育する傾向が出てくる.
さてそのような植物の集団に,菌類によって引き起こされる病気が入ってきたとしよう.その病気は感染個体のすぐ近くにいる個体にしか伝染しないとする.そして病気に感染した個体は栄養を搾取されて子供を残す能力はなくなるけれども生存率は低下しないとする.宿主植物の生存率が低下しないことは,菌類の都合で考えると大変都合がよい.というのも,感染した植物がすぐに枯れてしまえば病原体は次に広がることができないのだから.
さて,この系で病原体がはびこって植物が絶滅するようなことはありうるだろうか?
植物個体の空間分布構造を考えないこれまでの疫学モデルではそれはありえない.というのも,病原体がはびこって健康な植物の数が減ると,病原体があらたに感染できる相手(感受性個体)の数も減少するからである.健康な植物の数があるレベル以下になると病原体の頻度は減ってしまう.そのため,病気が流行できないかまたは病気と寄主植物とが共存するかのどちらかしかおきない.
ところが格子モデルでは結果が全く違ってくる.シミュレーションの結果では,宿主植物の集団に病気が侵入できたとすると,そのあとあっと言う間に広がって,ついには宿主植物を滅ぼしてしまう結果になることが多い.格子モデルでは,宿主植物の全体密度が低くなっても固まる傾向のために,残った植物の近くには他個体がみつかりその結果病気がうつってしまうからだろう.
図10のパラメータ範囲では,横軸は死亡率を,縦軸は病気の伝播率をあらわしているが,両方とも繁殖率との比率で表わしてある.図10Aでは完全に混合した場合を示している.つまり平均場近似によるものである.これでは死亡率が高すぎると病気があろうがなかろうが植物は生育できない(Excess Mortality).死亡がある程度低いと植物が生育できるが,その密度が低すぎるので病気は侵入できない(Disease Free).死亡率が小さくまた病気の伝播率が高くなると病気があるレベルで安定に維持される領域に入る(Endemic).
さて,図10Bには格子モデルでの相平面が示されている.これは(少し修正を加えた)ペア近似による予測である.9)完全混合の場合と比較すると,植物が生育できるための最大死亡率はより低く,つまり生育条件は厳しくなっている.格子モデルでは植物は固まる傾向があるためにたとえ全体密度は低くなっても回りの或る割合のサイトは埋まっていて繁殖に使えないからである.図10Aと同じように健康な植物だけが生育できるパラメータ領域(Disease Free),それから病気が或るレベルで存続できる領域(Endemic)があるが,さらに伝播率が高まると,両者ともに絶滅するという広い領域(Pathogen Driven Extinction)が現れてくる.これが,病気の侵入によるホストの絶滅を示すものである.そしてこの予測は,直接の計算機シミュレーションによっても確かめることができる.
これまでの疫学理論では,宿主の植物が生育しているところに病気が侵入して滅ぼす可能性は,病原体が他の生物をも宿主としている場合や昆虫などによって病気が媒介される場合について考えられきた.ここで紹介した格子モデルの結果は,空間構造があればそれだけで,病気による宿主の絶滅が生じることを示しており,空間構造を無視した生態的モデリングで間違った結論を導くことを示唆している.
ペア近似は,もともと生物の社会的相互作用の進化におよぼす空間構造の影響を調べるために導入されたものである.11,12)2者間での社会的相互作用は相手および自分に及ぼす利益や損失の符号によって4つの種類に分けられている(図11).13)自分も相手も利益を受けるという相利,自分は利益を受けるが相手は損をする利己については,これらを採用するように進化することには何ら不思議はない.自然淘汰によって繁殖成功度を改善できるタイプが広がった結果として進化したのが現在見られる生物だからである.経済学など社会科学でも,相手への影響がどうであれ自分にとって利益が得られる行動をとることを基本仮定としてゲーム理論が組み立てられている.ところが人間でもそれ以外の生物でも,自分にとって損でも相手が困っているときには助けるという利他行動が見られる.ハチやアリのワーカー(働き蜂など),鳥のヘルパーなどは,自らは繁殖をやめるか遅らせて女王やナワバリ所有者の繁殖を手伝う利他行動の代表的な例である.また吸血コオモリが餌を採れなかった他の個体に餌を分ける行動もある.これらが進化する状況には,互いに血縁がある場合と,一時的には損でも将来に自分が助けられる側に回る場合とが知られている.2)さて,ほとんど研究されていないのが,自分は損をするが相手にはそれ以上に損をさせるというスパイト(嫌がらせ)行動である.最近,人間を使った実験経済学が盛んになってきたが,人間はコストをかけてでも「相手に抜け駆けを許さない」「相手の足を引っ張る」というスパイト行動を採ることが明らかになり,経済学理論にとって重大な問題になっている.
さて生物の世界でもスパイト行動がある.典型的な例としては植物などが毒物質を分泌することで回りの環境を悪くし,競争者である他の植物の生育を抑制するというアレロパシー現象がその例だろう.このとき毒をつくる植物の成長速度は,何も作らない植物に比べて遅い.毒をつくるのにコストを払っていると解釈ができる.
バクテリアにもスパイト行動と解釈できるものがある.生物学の実験でよく用いられる大腸菌は哺乳動物の腸内にすむバクテリアである.それにはコリシンという毒をつくって近くにいる大腸菌を殺すタイプ(コリシン生産性菌)と毒をつくらないタイプ(コリシン感受性菌)とがある.コリシン生産性菌自身は免疫タンパク質をもっていてコリシンに対して耐性がある.コリシン生産性菌はコリシンをばらまき,周りのコリシン感受性菌を殺し,そのあとに増殖しようとする.しかし一方で,コリシンをつくるのにコストがかかるために成長速度は遅い.
このような両者を,常に撹拌する液体培地で育てると,競争の結果は初期の相対密度によって違ってくる(図12).つまりコリシン生産性菌とコリシン感受性菌は,最初に圧倒的に数の多い方が勝って相手を排除するのだ.どうしてだろうか?それはコリシン感受性菌がほとんどを占める培地にコリシン生産菌がごくわずかだと,コリシンの効果は薄く増殖が遅いために後者は栄養の競争に負けてしまうからである.しかしコリシン生産性菌の初期密度が高いと違ってくる.頻度が高いとコリシンが十分に効くために感受性菌を効率よく殺すことができるからである.
ところが,2次元である寒天培地で行なうと,この競争の結果はまったく違ってくる.初期頻度にかかわりなくコリシン生産性菌が広がるのだ.最初にばらまかれたバクテリアは寒天培地の上でそれぞれにコロニーをつくる.コロニーは1つのバクテリアから分裂したできたものの集まりなのですべて同じタイプで成っている.ということは,全体密度が低い生産性菌も局所的には高い密度が実現でき,そこでは有利になるからである.
このことは格子モデルによって解析し,ペア近似にもとづいて侵入条件などを計算することもできる.10,14)そして確かにごく少数の個体数からスタートしてもコリシン生産性菌は広がることができるのである.
この系は,コストをかけてでも周りの個体の生存や成長を下げようとする「スパイト(嫌がらせ)行動」に関するモデルとも解釈できる.これまで自分の利益を犠牲にして相手の生存率や増殖率を改善する行動(利他行動)の進化条件が盛んに研究され,空間構造も大きな影響があることが知らている.13)上記のモデルは空間構造の導入によって,進化すべき社会の雰囲気がどのように変わるかという問題に答える試みの1つともいえよう.
生態学において空間構造を作らせなかった場合と自然に作らせるに任せた場合とで競争の結果が異なるということは,大型の動物や植物でも生じると考えられる.しかしそれを実験的に示すことはなかなか困難であろう.その意味ではこのバクテリアの液状培地と寒天培地との違いは,生態学における空間構造の重要性を明示する大変重要な例であると思われる.
以上,格子モデルを使って生態学のさまざまな文脈で,空間構造を無視した場合には得られない結論が得られることをいくつかの例で示してきた.格子モデルは生物の発生でのパターン形成などについてもよく用いられている.統計物理学で用いられてきた概念や解析手法が大変有効であると思われ,物理学研究者がこの分野に参入して活躍されることを期待したい.15)